ソロモン諸島(H44)での運用

1979年2月3日から3月8日まで
JA1CJA/H44


 ソロモン諸島へは1978年8月と1979年2月の2回、OECFの調査団の一員として、通信事情の調査で参加した。(通信設備の整備のため日本から融資することの可否を調査する。)

 アマ無線は1979年2月3日〜3月8日間で、手空きの時間、従って、主に夜間に運用した。休日は昼間の運用も若干あった。


 

 設備はTRIO(現KENWOOD)TS-120V 10w機、アンテナはホテルの2階からダブレットアンテナを階下へ向かって張った。
 野外は一度丘の上での運用を試みた。電源は車のバッテリーから供給した。

 CALLは短期なので、JA1CJA/H44の使用を運輸通信省の無線担当官から口頭で許可された。

 一ヶ月以上になれば有料で H44**のCALLを発給するといっていた。
 後刻担当官がホテルへやって来て設備を見ていった。

 H44も独立3年目で人材不足、オーストラリア、英国からの助っ人外国人でまかなっている。従って、ハムは外国人が主。鰹漁で長期滞在の日本人ハムが一人おりました。(後に強盗に襲われ殺されたと聞きました。)



 QSO出来たのは主に21MHz、日本側が3ele以上の局、10w局はかつかつ、スケジュールを組んでやっと交信した。

 Total130局と交信した。

 第二次大戦の際日本軍は、ガダルカナルで大敗した。ブラディーヒル(血塗られた丘)の記念碑、日本海軍の沈船、日本軍の飛行機の残骸などが当時はまだ残されていた。



2002年9月16日
JH3LSS/JA1CJA